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「“会社”という人」はいないけど「“会社”という人格」はある


*Photo; Naha, Okinawa


よく「会社がこう言っているから」とか「会社の判断で」とかいいますけど、ちょっと不思議な物言いですよね。


その「会社」って一体、誰?というと、「会社」という人がスーツを着て、何かを言っているわけでも無いし、バン!とデスクを叩いて判断している話では無い、です。たぶん。できるならそんな光景も見てみたいけど、


会社の中の誰か、が言ったり判断しているわけですよね。でも、なにか都合がよろしく無い時に「会社が」という主語に置き換えて、問題をふわっと、誰のせいでも無いんですけど、しかたなくて、という文脈に置き換えているわけです。


便利ですけど、よくよく考えるとかわいそうだなあ、「会社」さん。


これは、「会社」を「国」やそのほかのなにかに置き換えても一緒ですが。


閑話休題。ところが一方で、「会社という人格」って、やっぱりあるな、と思ってしまうのです。あの会社はなんだかやさしい。この会社はアグレッシブ。ああ、あの会社って、ちょっとお金儲け主義っぽいね、などなど。


その「人格=パーソナリティ」をつくるのがブランディングであります。もちろん、会社に限らず商品ブランドでも、そんなイメージ、生まれますよね。


もちろんあくまで表層的なことではなく、ひとりひとりの社員の方が、知らずのうちにその会社のパーソナリティを共有していくことが大切な時代になっています。

ボクのお手伝いするブランドでは、チームメンバーの方が何かの決定をする時に「それって、OO(=ここの自分たちのブランド名が入る)らしいかな?」と問いかけ合います。これ、いいです。とっても。


好むとこのまざるにかかわらず、ネット時代の今、あらゆる企業活動は白日の元に晒されていると言ってもいいですからね。ブランドらしく無い行動、発信は大きな「がっかり」となって広がります。なかなかとりかえしのつかない「がっかり」。


ブランディングの仕事を始めた頃には、ブランドのコンセプトの開発からネーミング、マーク、カラーシステム、そして企業広告の制作が主な仕事でしたが、そこからビジョン・ミッションの開発と深度をあげ、最近はインターナルブランディング=どうやって社員の皆さんの意思を共通のものにしていくか、と横への広がりになっています。


これも時代の流れなんですね。


今日の写真は、大好きな那覇のカフェの店先で撮ったものです。カフェって、「人格」があるよなあ、っていつも思います。思いません?


おいしいコーヒーとペイストリーで始まる一日が大好きです。

さあ、今日もStay Safe & Be Positive!で参りましょう。ピース!


© Copyright 2010 d.d.d. inc. & Akihiko Shaw Ishizawa
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