
*Photo; 蓼科
今日は、ちょっと前から感じていたことを書いてみます。
オリンピックがこのようなコントラバーシャナル(議論になる)な感じになっているので余計に感じるのですが、自分のパフォーマンスを見てもらって幾ばくかのお金をもらっている人々はアスリートではなく、「スポーツエンターテイナー」という呼び方にしてみたらどうか、と思うのです。直接のフィーをもらっているわけではなく、オリンピックに出てそれによって何らかの報酬を得るような方々もそう呼び、認識することによっていろいろな課題がクリアになるように思います。
ナイキの言う『身体があればだれでもアスリート』という考え方にボクは共感します。
走る、飛ぶ、蹴るなど、体を動かす人は皆アスリートです。つまり、誰でもがアスリートなのであって、特権でもなんでもないのです。
一方エンターテイナー。自分の技術を披露して、他者を楽しませることによって報酬を得る人、です。
普通にプロと呼ばれるスポーツ選手はこのカテゴリーに属すると解釈するとどうでしょう。つまり『スポーツエンターテイナー』。
そうした意識を持つことによって、グラウンドだけではなく、ファンサービスと言われる部分も重要な職業区分として理解してもらうことができます。
*もちろん、大坂なおみさんのように、個人的に苦痛を伴うことを強要するのではなく、それができないならできないで、総合的なパフォーマンスで評価すればいいのです。
俳優さんでもミュージシャンでも、作品で評価されればいいのでインタビュー等は一切受けないプロフェッショナルエンターテイナーも多くいます、よね。
で、本論ですが;
「感動をプレゼント」するのは、あらゆるエンターテイナー共通の価値です。スポーツはもちろん、役者さん、歌手、ちょっと視野を広げれば。居酒屋さんの大将やカフェの店員さんや八百屋さんだって、エンターテイナーの方はたくさんいます。塾の先生だってそうかもしれません。立派なエンターテイナーです。
なんだか、オリンピックの選手だから特別、という感覚が逆にスポーツというすばらしい無形の価値を多くの人から遠のけてしまうような危惧を感じてしまいます。
スポーツは、オリンピックに出るような選手たち専用の道具ではありません。今日も公園を、土手を走る人たち。運動会を楽しみにしている子供たち。みんなアスリートです。
「アスリートの思いがあるので、医療従事者や、近隣の方の迷惑になるかも知れないけれど、観客として入って、応援してください。それが僕らの力になるのです」って、ちょっと思いが過ぎている、と感じてしまいます。みんなアスリート。誰でもアスリート。
そして、役者さん、音楽家さん、カフェや居酒屋さん、いろんなエンターテイナーは「感染してもいいから観てくれ、来てくれ」と言う気持ちを抑えている、耐えている。
スポーツエンターテイナーだけが特別、と言う考えは却ってスポーツの価値を損なってしまうのではないか、とスポーツファンとして危惧しています。
応援したい人は観たいところで観ますよ。応援します。だから、まずは自分がどうエンターテインメントするか、に集中していただきたい、と思うのです。
今日の写真は、先日取材で登った蓼科高原の山道で撮ったものです。
呼吸が浅く、速くなりがちな今日この頃ですが、深呼吸して、森の中に目を凝らす。そんな貴重な体験ができました。深く息を吸って、こんな時期だからこそ、落ち着いて周りをおもんばかれるといいですね。
Stay Safe & Be Positive!で参りましょう。