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最近、広告について思うこと


*Photo; GQ Japan


ボクのオフィスのある駅の階段を上がると正面に大きなムービーディスプレイがあって、そこで広告が流れているんです。その画面ではこの夏、毎朝、雨の中で恋人にフラれた女の子が「私が悪いの…?」って窓に映る自分に語りかけるシーンを見ることになりました。

摂氏36度の朝も、ちょっと爽やかな朝も、そしてもちろん、この夏にしては珍しく雨が降る朝も、彼女は「私が悪いの…?」って哀しそうで…。

結局、シャンプーを変えて好きな自分になれました、となるらしいのですが、そこに至る前にボクは彼女の前を通り過ぎてしまっているので、いつも彼女に対する気の毒な気持ちでこの夏の日々の朝を始めることになりました。ちょっと迷惑。とはは。


似たような話で、近所で小規模マンションの建築があり、とてもうるさい。まあ、それは作業上仕方ないのかも知れませんが、付近の道路が工事車両の泥で汚れたまま。作業員の方の怒鳴り声が朝早くから元気すぎるし、休憩時には道路に座ってタバコを吸っている、と、ちょっと周囲に気をつかってほしい、と思う経験もありました。


広告も建築も「日常に異物を放り込む」仕事です。制作者側は、そこに謙虚にならなくては、と改めて感じました。


ボク自身、広告代理店にいた時代から多くの広告を制作し、そのいくつかは賞をいただいたりもしましたが、数年前からCMの制作は、よほどのことがない限りお断りしています。

詳しい事情は割愛しますが、平たくいうと今の広告事情とボクの価値観が合わない、ということです。


CMにしろ、ポスターにしろ、電車内の広告にしろ、それらは先ほど言ったように「ごく普通の日々を送ろうとしている人たちの生活の中に、承諾なしに放り込まれる異物」です。

だからこそ、「ああ、観てよかった。なんだかいい一日になりそうだな」と思ってもらえるものを放り込みたい。でも、実際には「インパクト」や「話題性」だの、どうしても別の価値観が優先されることが多いのが実情です。

まあ、広告は多くのお金がかかるものですので、出稿主の「見てもらいたい!」という気持ちは理解できます。でも、だからこそ深く考えてつくれば、もっとビジネスに役立つはずだと思うのですが、そうはなかなかそうはなっていない場合が多いです。


そんなことを考えたのは最近、マクドナルドでアルバイトをするダウン症の高校生の方の話を聞いたことも関係しています。彼の、元気で真摯に笑顔でお客さまや仲間へ接する態度が周囲のみなさんにもポジティブは影響を生み出しているそうです。


今日の写真はだいぶ前のGQの誌面です。この時、ボクはダウン症の方々に役に立てば、と仲間に声をかけてプロボノでポスターを作り、いろいろなところにそれを貼っていただきました。ボランティアでつくったものですから枚数もかなり限られていました。でもそれが、広告賞をいただいたり、GQから取材を受けたり。


広告って、「インパクト」や「話題性」を追いかけるわけでなくても、こんなふうにしっかりとメッセージが伝われば世の中に認めてもらい、役に立つ可能性があるんだ、と感じたプロジェクトでした。

ちなみにGQのインタビューでは、最後の最後に「ボクの写真や個人名は出さないでください」とお願いしました。ライターの方はとても驚かれて(これって、世の中に石澤さんの存在とスタンスを知ってもらえるチャンスなんですよ!とても意義あることなんですよ!と)だいぶ説得されましたのですが、なんだか違う気がして頑なにお断りして、ギリギリまで揉めて、イニシャルで記事なる、という、ライターの方に「とても異例です」とご迷惑をかけた誌面になりました。クシダさん、あの時は本当にごめんなさいでした。

十数年ぶりの小さなカミングアウトとお詫びです。


こんな仕事ができるんだ、というのが広告やブランディングの仕事です。

自分で書いていて、なんだか元気が出てきました。


わはは、すいません、なんじゃそりゃ!ですが、まだまだStay Safe & Be Positive !で参りましょう。

ピース!

© Copyright 2010 d.d.d. inc. & Akihiko Shaw Ishizawa
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