
*Photo; Hawaii
明けまして、おめでとうございます!
年末年始に、溜まっていた本やら雑誌、そして、一年分のTV番組を観た気がします。 =、=;
「ブランディングの発想がビジネスだけではなく、日々の生活にも浸透してくれば、この国ももっと魅力的になれる」というのがボクがブランディングに携わってからずっと抱いている思いです。
今日は年の初めに、ボクが次のブランディングに関する書籍のために書いた『Brandとは何か?に関するとても私的な話』を蔵出し(?)してみますね。
休み明け、みなさんのエンジンをかけるためのフレッシュな空気のようなものになればうれしいです。
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Karman Ghier【カルマン・ギア】、と言うクルマがあります。中身、つまりエンジンを含む駆動部はフォルクスワーゲン・ビートル(もちろん、旧式の)。その駆体の上にギア、というイタリアのカロッツェリア(いわゆる個人経営規模の町工場ですね)がデザインして創った車体が載っています。1950年代から1970年代に創られ、アメリカ西海岸のサーファーを中心に爆発的に流行しました。当時の巨大な車体と大排気量であることを前提としていた多くのアメリカ車が凡庸で、既存の価値観の象徴に見えていた彼らにとって、ヨーロッパからやって来た軽くてスタイリッシュ、そしてなによりしっかりとした走りをするこのクルマは、自分たちのアイデンティティを雄弁に、しかし決して声高ではなく語ってくれるものだったんです。同じオリジンをフォルクスワーゲンに持つバンが、ヒッピーたちの象徴であったように。
1997年の夏。休日を利用してボクは状態の良いカルマン・ギアを探して、都内のディーラーを何軒も何軒も見て回っていました。
それより遡ること数年、まだ20代半ばの駆け出しのコピーライターだったボクは、広告写真の撮影中に、スタジオの二階にある休憩コーナーから駐車場をぼんやりと見下ろしていました。そこに、アリゾナレッドのボディに黒い幌をつけたカルマン・ギアが停まっていたのです。今でもボクはその光景を鮮明に覚えています。秋の終わりの曇り空のその日、駐車場のガイドラインを超えて、ちょっと斜めに停められていたそのクルマの、ほんの申し訳程度の後部座席にはストーンウォッシュのレザージャンバーが無造作に取り残されていました。ボクはその時、カルマン・ギアに恋したのです。とはは。
あとで聞くと、そのクルマはスタイリストの方のもので、ボクもクルマを買うなら、あんなクルマがいいなあ、とぼんやりと思っていた程度でした。でも、その想いはボクの中でクツクツと温められ、具現化されるその日をじっと待っていたのです。どうやら。
そんなわけで、何の前触れも必然も啓示も無く、ボクは1997年の夏の始めにカルマン・ギアを手にすることを決め、汗を噴き出しながらクルマ雑誌で(ほんの十数年前、まだボクらの検索手段は紙媒体!でした)ディーラーを捜して回っていたわけです。何軒かの専門ディーラーを回れば、あとは値段と交渉しながら決めるだけ、と浅はかに考えていたもくろみははかなく崩れ、さがしてもさがしても、状態の良いカルマン・ギアはボクの前に現れてくれませんでした。
まあ、ちょっと考えてみれば当たり前の話ですが、かなり旧い車種で、好条件のものなど当時でも少なかった。状態はそこそことは言え、色がどうしても自分が乗ることがイメージできないものや(水色のカルマン・ギアに乗っている自分は、、、ちょっと無理がありそうした)、色は好みでも雨漏り(!!)がするものや、とにかく、何ものかにじらされているかのように、ボクは目指す相手には巡り会えなかったんです。
数ヶ月を経て、ついには最初に訪れたディーラーにダメ元で、見逃したものが無いか、新しい“出物”がないかと淡い期待を抱いて再び足を向けました。
「あれえ、まだ見つかんないのぉ?」
山ほどの中古車の群れの向こうから、首にかけたタオルで汗を拭き拭きディーラーのおじさんが声をかけてきました。
「見つからないんです」
「そっかあ」おじさんはボクの近くまで来て、ちょっと振り向いて自分の店の手持ちのカルマン・ギアたちの列を眺め
「なんでそんなにカルマン、さがしてんの?」と尋ねました。
「...!」
その時ボクは少なからず驚いてしまったんです。理由が、見あたらない。そりゃ、もちろん、かっこいい、と言うのはありますが、クルマを持つ必然すら感じてなかったボクが、夏の間中、ちゃんと動くか、雨が漏らないか(!!)さえ定かでない、そう安くはない買い物をするために休みをつぶす理由が、明確には説明できなかったんです。
「...なんとな、、、く」ポヤンとして応えました。多分、かなり、ポヤンとした顔をしいていたと思います。太陽の熱さで頭がくらくらしていたのかもしれません。
「じゃあ、仕方ないねえ」ポワンとしたボクの耳に、なにかの祝福のようにおじさんの声が響きました。いや、本当に。
「いや、例えばさ、好きな女の子がいるとするじゃない。で、なんで好きなのかなあ、って考えた時に、目が好き、とか、髪型やスタイルがいい、とか、頭がいい、とか言うのって長続きしないんだよ。だって、それじゃあさ、目が小さくなっちゃったり、髪型変わっちゃったり、それに、頭の良さなんてのは時と場合によって変わってくるからさ。ここが好き、なんて明確に言えるのはダメなんだよ。でもさ、何となく好き、ってのは、もう、どうしようもないね。好きなんだからさ。もう、逃げようが無いよね。目が小さくなったって、髪型変わったって、好きなんだから。そりゃもう、買うしか無いよ、がんばって探してさ」
なんだか、ていの良い、というか、究極のセールストークだったのかもしれませんが、とにかく、ボクはおじさんの諦観に深く頷いちゃったわけです。今でも、頷く。
で、そのおじさんが続けて「あのさ、実はカルマン三台持っていて(!!!???)一台手放しても良い、って人がいるから聞いてあげようか?」と言うのです!
もちろんボクは、ぽかんと口を開けたまま、かくかくと首を振ってお願いし、数日後、それまで、何軒ディーラーを回っても見たことが無かったような、1957年生まれの美しいカルマン・ギアと対面しました。
それが、今のボクのカルマン・ギア。
そしてこれが、ブランド、についてのお話です。
ボクが普段生業としている広告や、ブランディングの仕事ではラショナル(論理的な意味付け)が強く求められます。
ボクにとってのカルマン・ギアのように、入り口としては「なんだか分からないけど」と言う心の動きが一番強いものですが、ただ、注意深く見てみると、その「なんとなく」を創り出すものはしっかりとあるのです。カルマン・ギアで言うと、スタイリング、フラットフォーエンジンの響き、振動、そして軽快で堅実な走り(すごくレスポンスがいいんですよ)。加えて歴史的なものなど、見れば見るほど、調べれば調べるほど好きになる要因が明確な輪郭を持って浮かび上がってきます。
「なんだかわからない」チカラで人を魅了し、人の心を動かすのが『ブランド』のチカラです。
なんだか曖昧に聞こえるその価値を作り出すためには、実は確固とした背景=事実で魅了し続けることが必要なのです。